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木々が消えた。

我が家の周りを囲うように植え込みや木々があって、大きな杉の木も象徴のように一本だけ生えていた。それが最近全部切り倒されてしまった。母のイメージとしては鬱蒼とした家の周りが嫌だったのだろう。気が付いた時には相談されることもなく、既に業者さんがチェンソー振り回してるような状態で手遅れで。
仕方ないし、まぁ好きなようにしたらいいんだけど……だけどね。腑に落ちない。
好きな漫画の一つに「うしおととら」っていう漫画があってその中で主人公のうしおが幼少期にジャングルジムが好きだったけどある時公園に行ったら、どっかの子供がジャングルジムから落ちて怪我したらから危ないから撤去する、大人はいつも奪っていくとかなんかそんなエピソードがあって、こうやって振り返って書いてみても木々が、緑が減ったことが単純にショックなのだろう。
落ち葉が風に吹かれて乾いた音を鳴らしていたり、穏やかなざわめきも、春先の夜なんか強風で覆いかぶさるように揺れている事に怖さを感じたりだとか、木漏れ日と地面に伸びる陰影のコントラストとか、遅い時間に帰ってきて遠くから家を眺めたときに沢山の木の間からポッと明かりが見えるのが森の中で暮らしてるように感じられて、なんかシチューとか似合いそうな家だなとか思ったりして、そういう全部、そういうのが絶滅ではないけど多少なりとも感じられなくなってしまった。
根本から掘り返されたわけじゃないけど、伸びるのには何年もかかるし、自分にとっては緑がとても大事なものなのだとよく分かる出来事だった。ちょっと話は違うけど今年の流行色か何かが緑でモスグリーン系のコートとかよく見かけてて自分も持ってるんだけど、物凄く目を奪われる。緑。何か代わりになるような緑を部屋に置きたいとは思っていても、植物は世話できる自信がなくてどうにも動けないで居る。植物が与えてくれる情緒、利便性に囚われるとそういった安らぎは蔑ろにされる。ただ悲しい。しかし木々のことだけでよくこれだけ書けたなぁ。植物愛がわりと深いのかもしれない。

最近、瓶ではなく缶の日本酒を買ってもらって嬉しかったんだけど、正直飲むタイミングが分からなくて持て余している……。瓶だと好きに量が調節出来るんだけど、缶は開けたら全部飲まなきゃいけないし、家でこの量、レッドブルぐらいの大きさ、これ飲むと頭から蓮の花咲き乱れて賢者というか覚者として涅槃とかもうそういう仏様になってしまうので手を伸ばせない。どうしようごめんねくれた人。覚者になる覚悟が出来た飲み干そうそうしよう。感謝と共に。

文章好きですよとたまに言われたりして、そりゃ嬉しいし嬉しいって言うんだけど「それはちょっと嬉しいなぁ」とか言ったりして、この“ちょっと”って嘘でほんとはだいぶ嬉しいくせに、なんかよく使ってしまう。文章上でのやり取りなら打った後に気付けば消すんだけど、口頭だとよく言っている。ワンクッション置くような後に続く言葉の印象を和らげる力のある言葉、“ちょっと”。嬉しい時には使わなくていいのにね。そういうのちゃんとしたいんだけど癖になってて怖い。喜んだ時はしっかりと嬉しかったよって伝えるために。