あれやこれや

最近無性にお酒が好きで泥酔するほどには飲まないけど、とにかく美味しく感じる。日本酒を好んでいるんだけど、甘口と辛口があって最近は辛口ばかり飲んでいて、何がどう違うの?甘口ってほんとに甘いの?と聞かれたりもして、甘口は甘いとしか言えないんだけど、お菓子や果実の甘味ではなくて、使われているお米の甘味がそのまま出るような感じで、辛口はどういう辛味なのと聞かれると、なんとも答えにくい。

調味料の辛味ではないから喩えが難しいんだけど、そういう時は「何かのスープを飲んでいるような、出汁とかああいう感じ」と答えてるんだけど、これも決して上手い返しではないのだろうなと思う。
人と飲んでもそんな酔わないのだけど、いつもより飲み過ぎたのか先日は少し酔ってしまった。とても眠くなる。ただ日本酒は後に残りにくいし、翌日に後味の悪さみたいな不快感もないのでありがたい。毎日とか飲み過ぎなければ健康にもよかったはず。父が酒好きだったので遺伝はあるのかもしれない。そういえばあの人は何を好んで飲んでいたっけ。焼酎だったかな。

種類豊富なものから自分の好きなものを探していく行為っていうのは自分を知る行為の一つで、そうやって一つずつはっきりさせて行くことで自分が形作られて行く。今までもこれからもそれは続いていくもので。好き嫌いどちらに偏らせることもなくバランス重視でずっと自分を作り続けて行くような気がする。
自分を出すことをなんだかはばかられる時代のようなのはネットの主張が大きくなったからなのかな。何も考えずに主張だけしたい人は暴かれるような。

叩かれやすい時代ということでジャポニカ学習帳もクレームがあったからって次からは花を表紙に持ってくるらしいし。声を荒げたもん勝ちみたいな風潮は確かにあるのだろうな。思うのはそのクレームに対するクレームはどうなっているんだろうっていう。無いのかな。「なんで虫をやめるんだ!蝶々なんかすごく綺麗な生き物じゃないか!」みたいな虫好きからのクレームが多く寄せられたらどうなるんだろう。数の多いクレームの勝ちになるのかな。

クレームには絶対に対応しなきゃいけないってのは分かるけど、本質は消費者に対して喜んでほしいっていうサービス精神があって、でもそんなの全員喜ばせられるわけないから多数決みたいに数を取ることで怒りの矛を下ろしてもらおうっていう、これ。正直、怒って感情的になっている人よりも、疑問符投げかける人とかきっちりした内容のクレームにだけ対応してほしい。感情論に負けすぎな気がする。クレームの質ってのが問題だろう。

「突き刺す12月と伊勢丹の息が合わさる衝突地点、少しあなたを思い出す体感温度


東京事変の群青日和からの一節だけど、そんな季節。これは寒い冬の空気の中、暖房の効いた伊勢丹の一階の扉が開いていて中の暖かい空気と冷たい外気がぶつかるそのどちらでもない温さが、誰かの体温と一緒だったっていう意味らしいんだけど、これ素晴らしい一節だと思っていて、そんな風に熱さと一歩引いて冷ややかな目で見る人が居て、やはり中間に立たないと分からないものがほとんどなんじゃないかと思う。どれだけ真ん中に立てるか。いつもその場所を探している。