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最後の日について。

終わりだ終わりだと口にしてしまうのは昨日までの話で当日は皆が皆腹をくくっていて、思い思いに今年を振り返っている。
天邪鬼だからなのか年末の寒さに身体が慣れていないからか夏のことを振り返ったりしていて、蝉の鳴き声も、木陰の涼しさも、サンダルを擦って歩く感覚も、貴重な風鈴の音も、すぐ失くなる汗ふきシートとか色々その他もろもろが幻だったような気さえする。

夏は短いのにインパクトだけは強いから特にそんなように思えて来年の夏をすぐに想像していて、今はまだ蜃気楼のようで、けれど確実に辿り着く季節で、また来年もうんざりするほど実感する幻の中で冷たさを求めるんだと思う。夏に冬は夢見ない。なぜだろう。冷たさは難しくても景色は思い出せるからか。自分の中では夏だけが幻だ。

ある女性に贈り物をした。狙ったわけではないが12月の初頭にそんなきっかけがあったので悩んでいたらクリスマス付近になり、そんなわけでサンタクロースの出来上がり。さすがに寝床に置くわけにはいかなかったけども無事手渡せたので良かった。

その人にとってはとても大変な一年だった。いや厳密には8ヶ月とかか。それを近くで見守っていたというか話を聞いていたりしてて、本人の努力不足とかそういう次元の話でもなくて、運命の仕業というか、どうにも抗えない見えない力に振り回されているようにすら思えた。

普通だったら心折れてちょっと入院とかしてもおかしくないんじゃない?っていうぐらいに過酷な事が多くて、そんな中でもそのどうしようもない事柄に対しての愚痴がほとんど見受けられなかった。

自分だったら辛い時はすぐに誰かに愚痴ってしまうのにこっちから聞かないとそんな話をしない、自分からは切り出さない人で。それどころか笑ったりしていて。かと言って事態を甘く見てヘラヘラしてるわけではなくて。接している時に陰りが見えなくて、逆に大丈夫なのかと思うぐらいだった。何度も言った。「大丈夫?」と。彼女は「大丈夫です」と応えていた。

そんなような急変する事態に何度も見舞われて、乱気流にでも飲まれたかのような一年だったのではないかと思う。ある時、あれもそういえば夏だった。

彼女はネットでTシャツを買おうと選んでいて「何かくれ」と適当な事を言った。冗談のつもりだったけど彼女は本当にくれた。適当にこれがいいと言ったら、「じゃ、はい」って。その時も思った。「なんだこれは、この子大丈夫か正気か?!」と。そんな当たり前に、思い起こせば子供の頃から何か強請って買ってもらったことなんて一度たりともなかったから何が起きたのか分からずパニックになりかけた。その人は頭がいいんだけど時折何も考えずに行動している時があって、その時もそうだったのか、いやこれは何かの計算で裏があるのか?!いや俺何も持ってないしなとか、あれはパニックだったのだろう。意味が分からなかった。と同時に酷く感動していた。

そんな恩もあったし大変だった一年に対しての労いもあってプレゼントを贈ったのだった。物凄く悩んだが可愛いバッグがあったのでそれにした。

一目惚れで、でもファー付いているから一年中は難しいなぁでもこれ可愛いな保留にして他のも見てみて、あっやっぱりこれしか無いなとネットや実際に歩いたりして探り当てた代物だった。彼女もとても喜んでいて嬉しかった。その時には恩返しとかよりも、頑張ったよ本当に。偉いよ。とかそんな風に思っていた。

人は出会っては別れを繰り返して今の関係が当たり前のようにどこまでも続くものだと、一回考えればそんな事はないよなって思うのに無意識になれば別れのことなんて全然考えたりしない。前を見ているからだ。無意識化で見る景色はいつも前だから考えないのかもしれない。少なくとも自分はたとえ一時的に縁が解けたとしてもまた結びつく事だってあるんだろって信じている。

輪廻を信じているのもそんな所からで、たとえ誰かが亡くなっても生まれ変わってまた会えるに決まってるって、形は変わってもまた同じような関係性になるんだろうなって考えていて、亡くなった後に空の上でまだ現世でやり残していた事があれば輪廻を選んでまた地上へ新しい形として戻る。それ以外を選ぶ魂もあるかもしれないけど、俺が例えば今死んだとしても先述の人をまだ喜ばせ足りてないからなんて、それも一つの戻る理由として挙げるだろう。理由は多ければ多いほどやりがいのある人生になるかもしれない。

彼女がどこで満足するかは分からないから全て自己満足で終始するしかない。母が言っていた。「やられたら倍にして返してやんな」って。だからまだ生きなきゃいけない。まだ倍になってないし。この先、いつかは疎遠になるかもしれない。だからその日が来るまでは悔いのないように残すだけ。

皆がゆっくりと振り返ったりする日。昼間なんて人も疎らだし車も少ないから時間がゆっくりと感じる。

終わり、その全般に対して安堵するのは相変わらずなんだけどどうせ思い出すなら素晴らしく美しかった日々のことを思い出してほしい。毎日が汚泥ようだったなんてあるわけない。生産性がなかった日々だったとしても楽しかったことの一つや二つあるはず。

そしてその思い出は身体や脳の浄化に繋がる。今年もよく笑ったし笑わせた一年だった。誰かに何かをしたくなる性分が右肩上がりになりつつある。お節介と疎まれない程度にしていきたい。

昔、ある人が「十分、救われたよ」と言ってくれて、その時は何もしてないよなんて返したし、どこか上の空で実感なんて湧かなかったけど、きっとあれは本当の事だったのだろうと少しは思える。それでも最後は自分で自分を救うのだろう。いつも無力感で溢れていたけど、きっかけでもあげられたなら無力に思う必要はない。あれはきっと、そんな意味だったのだろうと今は考えている。

誰しもが善き思い出に溢れた一日で終わってくれればいいなと思う。明日からは違う一年。過ぎた日で埋め尽くされないように塗り替える事が出来る一年が始まる。フラットに考えてみたけど、今はどう見ても希望しか感じない。