「ホーリー・モーターズ」

ホーリー・モーターズ

映画『ホーリー・モーターズ』予告編 - YouTube


万人におすすめできる映画ではないのでしょうね。セリフも少なめだし、それも説明をしてくれるようなものでもないし。
しかし観た人に対して必ずやインパクトを与える作品でしょうね。
主人公は様々な役柄を演じていくわけですが、それって人の可笑しみとでも言うんでしょうかね。まるで神様に踊らされているような時ってあると思うんですよね、何かの偶然が重なった時とか、皮肉な展開になった時なんか気持ちのやり場に困った時に運命や宿命なんて言葉を浮かべてしまう時ってあると思うんですよねぇ。
個人的にはそんなもんで片付けたくないというか、自ら選んできた人生だったって思って生きてるんですけど、でも想定外の出来事ってあるものですからね。その出来事の大きさが驚くほどだった場合、なんか分からん力が働いてるなぁとふと感じてしまう。

人は何かしらどこかしらで演じている部分ってのはあると思うんですよね。自然体に思うがままに私は生きてますよーっていう人も多く居られるかと思いますがね。演じてるってのは本来の自分とは別の人柄や立ち振舞いでその場を過ごすっていうことのように考えていましたが、そもそもその本来の自分っていうのだって怪しいものだと思うんですよね。そんなに明確な実体を伴っていないと思うんですよ本来の自分っていうものは。
経験則やら知識やら色んなもんが寄り集まって人格ってのは出来てるんだと思うんですが、その日の気分とかですら変動するでしょ、本来の自分なんて。そしてそれは生きていく上で変わって行くものだし。


あ、話しそれたんで戻しますがそもそも演じるっていうのは別の役柄どうこうじゃなくて、その場で与えられた役割を全うすることも含まれているんだろうなと感じたわけです。何らかの思考、それが意識的だろうが無意識であろうが、それらが入って何か考えるっていうのは、今を生きるためであり、生きるというのはね、この世を舞台に、自分を主役にして見せて行くっていう、まぁよくある喩えではあると思いますが、そういうのもありますよね。
ただ勝手に作り上げた別の役柄をこなす事=演じるではなくて、自らを演出して人生を謳歌する、これは自分を演じ上げていくという事になるわけで、演じることは必ずしも自分を隠したり誤魔化したりすることではないのだろうなと。なんかね、そんな風に改めて感じました、この映画を観て。

きっと魅力的な人って自分を演出することに長けている(それは自分の魅力が何なのか分かってるから出来るんだと思うんですけど)そんな人なのでしょう。長く生きれば生きるほど、外の世界で誰かと関われば関わるほど深みが増して何が大事なのか、自分の指針となるものが見えてきたりする。そうやって移ろって生きていく生き物なのだろうなぁ。そしてそれが可笑しみ、なんか言い表せない余韻を残すんですよね。

この映画の中身を多く語ることが出来ないので、今回はこんな感じになりました。感覚に訴えかけてくるタイプのものなのでね。ただ冒頭の主役ではない男は誰なのか?ってのを調べてみるとまた映画の見方がちょっと変わるかもしれません。勘の良い人は映画観ててこの主役の男は一体何なのかってのがもしかしたら予想つくのかもしれませんが。
ただそんな事を考えさせてくれる隙を与えないかもしれません。それはもう映像センスというか、物語の全容を理解しようとすると難解に思えるかもしれませんが、意味とか考えちゃうと迷路に入っちゃうかもしれませんが、もうね何も考えずに観たほうがいいですねこの映画は。ただラストは意表を突かれたけど。笑