レビュー

「モールス」
解説: 『クローバーフィールド/HAKAISHA』の俊英マット・リーヴス監督が作り上げた、スウェーデン映画『ぼくのエリ 200歳の少女』のハリウッド版。孤独な少年と少女の切なくも美しいイノセントな恋の物語が、町を震撼(しんかん)させる連続猟奇殺人事件のミステリーと絡み合う。主演は『キック・アス』のクロエ・モレッツ。ホラーの帝王スティーヴン・キングが、「2010年のお気に入り映画ナンバーワン」に選んだことも話題に。(シネマトゥデイ)


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ぼくのエリ 200歳の少女」のハリウッドリメイクという事ですが、この話は本来もっと複雑なものがあるんですけど、リメイクのこちらはあの大事なシーンを削ることで物語としては無難にまとめあげたんじゃないかなと。
僕個人としてはむしろこっちの方がすっきり出来る。
「ぼくのエリ」はあのシーンの意味が未だに釈然としてなくて、まぁこっちで公開されたものはボカシが入ってるから、素通りできる部分ではあるんだけど、あのボカシの向こう側にあるものを伝えるか伝えないかでこの映画ってまるっきり意味合いが変わってきちゃうんですよね。
まぁ僕も検索して調べてみた結果分かったことだったんですけど……でもそうなると、吸血鬼の設定って居るのかなぁとも思っちゃうんですよね。原作読んでないからあれですけど、そんなに複雑に色々な事情絡めなくても、吸血鬼だけでも十分なのに、様々なもんが含まれてて、あぁもうネタバレで書きます。

エリの性別は本来、男の子でそれを吸血鬼にされた時に無理矢理去勢されてしまったっていう設定はどうなのよ。それと一緒に暮らす男がペドフィリア小児性愛者)とかさ。もっと話が深いのに、それをなんか少年少女の恋物語風にしていて、背景にあるものが非日常すぎて全部分かった上で改めて観るとさ、どこに視点を置いたらいいのかっていう。
凄く散漫になるんですよね。いやどうしても引っかかるのは吸血鬼になるのはいいけど、何故男の子が女の子にっていう。たしか乳房膨らんでた気がするんで、体つきは少女だったと思うんですよ。
だから「ぼくのエリ」はあれで完結させてほしくないなぁ。エリの過去の話も観てみたいですね。これはモールスの感想とかじゃないんですけどね。

ということでね、今作はちゃんとこれはこれで完結していると思うんで、きちんと起承転結に沿って観れる映画だと思うんですよね。過去編も描こうと思えば描けるし、この先の話もやろうと思えばやれるっていう。まぁ分かりやすくなっているんでこちらの方が人には薦めやすいですね。

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「エンター・ザ・ボイド」
解説: 夜の東京で違法に働く外国人兄妹の悲しい運命を、刺激的でエロチックに描くファンタジー・ドラマ。監督は、約7年ぶりの新作となる『カルネ』『アレックス』などで知られるフランスの鬼才、ギャスパー・ノエ。SFXを、『アバター』にも参加しているフランスが誇るSFXクリエイターのピエール・ブファンが担当。ノエ監督によって切り取られるサイケデリックな東京の風景にも注目だ。(シネマトゥデイ)




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マジックマッシュルームの旅へどうぞっていうキャッチコピーはいいですね見事に映像で表現されているんじゃないだろうかと。いや僕分からないですけどねその幻覚症状がどういうものなのかは。笑
一度観たら強く記憶に焼き付く映画なんじゃないでしょうかね。ただのサイケな映像美の映画なのかなとか思ってたんですけど、まぁそんなに内容が深く心情のドロドロしたもん観せられるとか、そんな感じではないんですけど、酩酊感っていうのは今まで観てきた映画の中でも屈指のものなんじゃないでしょうかねぇ〜。
色使いとかカメラワークとかが絶妙だし、善し悪しよりも好き嫌いで語るような映画だと思いますね。娯楽映画ですねこれは。訴えかけてくるというか本能が呼び起こされるような感覚になりました。ある意味ロードムービーなのかもしれません。

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アンチクライスト
解説: 息子を事故で失った夫婦が深い悲しみと自責の念にさいなまれ、森の中の山小屋に救いを求めて迷走する姿を描くエロチック・スリラー作品。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の鬼才ラース・フォン・トリアーが、主演にシャルロット・ゲンズブールウィレム・デフォーを迎え、絶望のふちに追い込まれた夫婦の苦悩とてん末を過激で大胆な描写を交えて描く。第62回カンヌ国際映画祭で女優賞を受賞したシャルロットの熱演に圧倒される。(シネマトゥデイ)



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これはまた重苦しいですねぇ愛憎の塊のようなもんにエロスが絡んできて底なし沼に引きずり込まれるような映画でしたね。狂気そのものなので観る人を選ぶ内容です。圧倒的な内容なんで筆舌に尽くしがたいというね。
あの予告編でもチラっと映るんですけどこの映画の全てを物語っているようなシーンで大木の元で夫婦二人が交わっているんですが、その根元の隙間から何本もの腕が蠢いているっていうこのシーンは、軸となっている部分を強く象徴しているように思われます。
心が蝕まれていくのは誰にでもある話で、それを真正面から逃げることも出来ずに受け止めることしかない状況だったら、ただ静かに、淀み始めた感覚も最終的には黒く塗りつぶされて、そこには濁りがないから逆に澄んでいると言ってもおかしないのかもしれませんね。
包まれるのは閉じ込められるのと同義なのかもしれません。この映画ではそれが感じられるんじゃないでしょうか。森は戻り方が分かっていれば癒される場所なのでしょうけど、そうじゃなければ、ただただ脅威としか成り得ないのだとこの映画を観て感じました。